吉田誠〜空飛ぶおやじのスローライフ

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<<   作成日時 : 2013/02/10 21:26   >>

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エリートに見える。
クールに見える。
苦労知らずのぼんぼんに見える。
スマートに見える。
自信に満ち溢れて見える。

いつも言われる、これらが、僕の印象らしい。

しかし、
若いころに道を踏み外しながらも、
何かのきっかけで更生したという人たちは、その独特の嗅覚で、僕の本質を見抜くみたいだ。

「昔、相当悪さしたでしょ。
殺気というか、原の座った覚悟みたいなものを感じます。」
昨夜も零時を回った初めて訪れたバーで隣り合わせた男性から言われた。

「店に入って来たときの眼は怖かったですよ。
そのスジの方かも、関わり合いになるまいと思いました。
でも、マスターとのちょっとした会話をしながら眼がどんどん優しくなっていくのを見ていたら、
ああ、この人も更生されたのだなと思いました。」

なるほど「更生」か(((^^;)

もう一つ、
幼いころ、若いころ、人には言えないような苦労をし、
修羅場をくぐって生き抜いて来た人たちも、独特の嗅覚で、僕の本質を見抜くようだ。

「あの、失礼ですけど、昔、不幸じゃなかったですか。
ごめんなさい、突然。でもそんな匂いがするのです。」
「……(;゜゜)」

この台詞も、これまで何人かの人、特に女性から言われた台詞だ。
はっきり言えば、思春期に自殺を考えたことのある、
いや、自殺未遂まで経験したことのある人たちは、同じにおいを敏感に嗅ぎ分けられるようなのだ。

人間って、死を覚悟し、行動し、そして、結果として生き残った時、
神様なのか、どうなのか、とにかく何者かの力によって生かされたのだと感じるものらしい。
その時、とにかく、生かされている間は、懸命に生きようと腹をくくったのだと思う。
死に損なってから4か月間、未だに記憶は混濁したままなのだが、
4か月経ったある日、そんなスイッチが僕の心の奥底で確かにカチッと入ったのは憶えている。
それが17歳の夏の日のことだった。

それ以来、
頭も体も心も、必死の努力をして鍛え上げて来た。
他者のために生きると決めたら、心も解放されたのだろうか、
すべての努力の苦しさが、楽しみとなって行った。
求められれば、覚悟を決めて修羅場へと飛び込んだ。

それが、いま、経験と知識の蓄積となり、
あるがままを受け入れ、何物からも逃げないという
揺るがぬ覚悟へと昇華されたような気がする。

今だって、劣等感に苛まれることもある。
その時は、更に研鑽を重ねるだけのことだと思えるようになった。
自らも、自らの於かれた環境も、うごめく多くの人たちも、
客観的に、俯瞰的に見えるようになったのだろう。

そんな心の余裕が、僕の印象というものを形作っているのかもしれない。

一方で、
自分の弱さを他人に見せない、
すべての努力は隠れてやる、
すべての責任を自分が負う、
といった幼いころからのちょっと可愛そうな癖が、
僕の印象につながっている面もあるのだと思う。

他人の自分への印象をたまに聴くのも悪くはない、
そこには、自分の半生を客観的に顧みるきっかけがあるのだから。




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