吉田誠〜空飛ぶおやじのスローライフ

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<<   作成日時 : 2013/05/29 01:52   >>

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今日、ある新聞にマンUのファーガソン監督とベッカム(元マンU)の引退についてのコラムが載っていました。

要約すると
”一人の監督や選手が伝説になるということは、その組織に文化や伝統があるということだ。
彼らはその文化、伝統の体現者なのだ。
Jリーグにそんなチームが果たして何チームあるだろう。」
という内容だったのです。

読んだときには、なるほどと思ったのだけれども、
何故かほんの少しの違和感が残りました。

しばらくして気づいたのです。
「いや、それはやっぱり違うんじゃないか」という想いが…。

その組織の既存の文化や伝統を体現する存在であるということは、
その色に染まった存在であるということですよね。
そんな存在が伝説になるでしょうか?
確かに名選手、名監督だという評価はあったとしても、決して伝説的な存在までにはならないはずです。

彼らがその組織の中で目立った存在になった時、
彼らは、既存の文化や伝統に固執する者にとっては、
衝撃的な革新者であったのではないか?
陳腐化しつつあった文化や伝統を破り、新たな文化と時代を切り拓いた創造者であったのではないか?
だからこそ彼らは伝説になったのではないか?
そう思うのです。

かれらが、切り拓いた時代が続いた後から観れば、
彼らはまさしく文化と伝統の体現者には見えるのです。
何故なら、その文化も伝統も彼らが創った文化であり、歴史だから。

マンUでは、ジョージ・ベストという伝説的存在が有名です。
彼が衝撃的なデビューを飾った当時は、生真面目な選手の多いマンUにおいては完全な異端児でした。
長髪をたなびかせダメージ・ジーンズをはき、私生活でも派手な交友関係。
ピッチでも孤高のドリブラーとして、独りで局面を打開する活躍。
そう、彼は文化と伝統の破壊者だったのです。

ベッカムも選手としての評価より、
アイドルとの恋愛、結婚など私的生活でのネガティブな評価が衝撃的でした。
本来は、選手としての評価がもっと高くて良かったのに…。
彼も当時は異端児であり、好奇の的だったのです。

ファーガソンもそうでした。
ファンの扇動者となり、文化と伝統を破壊し、初めてオーナーよりも強い監督となったのです。
やはり彼も破壊者であり創造者であったのです。

伝説的存在とは、破壊し想像する、伝統的文化を革新し伝統を再生する異端児なのです。
既存の枠組みと概念を否定し、新たな枠組みと概念を創る創造者なのです。

いまという視点だけからは見えない彼らの原点の姿を
コラムニストは忘れていたのでしょう。
















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