吉田誠〜空飛ぶおやじのスローライフ

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zoom RSS そろそろ本当のことを話そうか A

<<   作成日時 : 2015/03/21 21:54   >>

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現在の会社にヘッドハンティングされるまで、
実は、僕は県の職員でした。

日本には270万人の地方公務員がいるのですが、
ヘッドハンティングで総合商社に転職したというのはかなり珍しいんでしょうね。
あまり他には聞いたことがありません。

きっかけは、慶応大学のグローバルセキュリティー研究所の金融チームに研究員として出向したことでした。
僕の前に僕より若い職員が出向していたのですが、
1年目で彼が使いものにならないと著名なS教授からクレームがつき、
トップのご指名で急きょ僕が替わりに出向することになったのです。
僕にとっては迷惑な話ですが、ここから人生が変わり始めるのですから不思議なものです。

当初は、全国知事会からの受託研究で道州制の研究を担当していたのですが、
途中、地方の産業活性化プロジェクトがうまくいっていないのでHELPしろいうS教授の命で、
地方産業問題も研究することになりました。(僕はチーママかい!?と思いましたヨ(^^)/)

ちなみに、道州制の研究の方は、北川正恭氏が監修、僕が執筆というかたちで、
「新たな国のかたちを めざして〜分権型国家システムの制度設計〜分権型国家の」というレポートを出しました。
ちょっとここで自慢話ですが、
その後の地方分権研究では必ずといってよいくらい参考文献にあげられる名著?なんですヨ(^^♪
論理構築にノイローゼになるくらい思索の日々を過ごし、とても苦労しただけに、うれしいですね。

さて、地方産業プロジェクトの方ですが、
残り4か月というところでのピンチヒッターですから、少々焦りましたね。
僕が2週間で出した結論は、
「地方型産業装置といえば、農林水産業か観光でしょう。
しかも日本の地方全体で普遍的な産業基盤となるのはやはり農林水産業でしょう。
農林水産業および関連ビジネスをビジネスモデルという視点から分析し、将来像を描きましょう。」
というものでした。

早速、農業界はもちろん経済界にも共同研究を働きかけたところ、
64の団体、企業が賛同してくれ、「農林水産業から日本を元気にする国民会議」が結成され、
僕が事務局長兼研究コーディネーターとなりました。
企業と共同で12のビジネス創出研究プロジェクチームトを立ち上げました。
また、企業の農業ビジネスのコンサル活動も始めることとなったのです。

そうした活動を始めて3年目の終わりころの深夜、
県知事から突然帰って来てほしいという電話連絡が入りました。
当時、僕が所属していた県は、土木建設会社の副社長に天下りしたOBが人事を牛耳り、
好き放題に県を使っているというとても信じられないような状況が続いていたのですが、
ようやく検察の目が向けられるという状況になっていたのです。

トップ曰く「彼とは手を切るつもりだ、彼と闘える職員はおまえしかいない。」
早速、唯一信頼できる先輩に確認の電話を入れました。
「検察の捜査の手が伸びて来ている。ようやく幹部たちも、保身のために手を切る覚悟をしたようだ。」とのこと。
ちなみに僕が一見栄転のかたちで東京に来た(最初は、東京事務所課長という立場で)のは、
土木建設会社の副社長が県幹部だった当時、裏金の調達ルートを切るなどして抵抗し、
当時の知事が僕を側近にしそうだったこともあって、
彼の怒りを買い、彼の命で左遷されることとなったからです。
幸い、当時の人事課に信頼できる同僚がいたため、
一見、栄転のかたちで東京に逃がしてくれたということなんですね。

振り返ってみれば、その副社長が秘書課長の時に、
当時の知事、副知事が何を気に入ったのか、僕を秘書課に抜擢したのです。
だから、最初は可愛がってもらいましたね。
秘書課長から知事公室長に昇格した彼は、しきりに僕を彼の派閥に入るよう誘ってくれました。
僕はそれをのらりくらりと断り続けていたのです。
自分の出世や保身のために派閥に入る、能力もないのに高いポジションに就く、
自分たちの贅沢な遊びや権力誇示のために裏金づくりに励む、
彼のライバルとなる幹部職員を追い落とすために中傷を流布する。
そんな連中の仲間になる気にはなれなかったのでしょうね。

それに、彼と付き合いながら、豪快さを売りにしていた彼の、
ガラスのような繊細さ、小心さに僕は気づいていました。
小心な人間ほど、自分を豪快に見せたがります。
そして、猜疑心が強く、味方と敵を峻別しようとして派閥をつくりたがり、策略を講じたがるものなのです。

しかも、彼に替わって僕が知事の寵愛を受けるようになったと彼は感じていたようでした。
彼の後、秘書課長になったNさんが、20年後県を退職する際に言った言葉を思い出します。
「吉田、俺が辞めた後は、おまえが彼の攻撃のターゲットになる。気をつけるんだ。」
「何故、まだ若造の僕なんかがターゲットになるのですか?ほかにライバルになる幹部がいるでしょう。」
「そんな奴はいない。新知事もおまえを信頼している。
おまえも聞いているだろう。彼の悪い噂は。
亡くなった知事は、その後も彼をそれなりに栄転させて来たが、
関係性と言う意味では徐々に遠ざけても来たんだ。
そして、彼の代わりに亡くなった知事の信頼を得て、水面下での難事の解決を任されて来たのが、俺とお前だ。
彼からすれば、俺たちを憎くて仕方ないんだよ。
知事も亡くなり、俺もおまえを守ることができなくなる。とにかく気をつけるんだ。」
Nさんの予言はその後見事当たったわけです。

彼と僕たちとの、この微妙な関係性は、当事者にしかわからないものでしょうね。
いわゆる”敵”ということなのですが、お互いに相手の気持ちがわかるような。
父が亡くなった後の兄弟、家族間の諍いみたいなものでしょうか。
愛憎半ばするという感じでしょうか。
不思議なことに昔も今も、彼を憎いと思ったことはありません。
彼からライバル、敵と視られたことに、「僕を対等に思ってくれているのだ。」と、
誇りみたいなものさえ感じていたのです。おかしな話ですね(*^^*)

さて話を戻しましょう。
当時、すでに県を辞め民間コンサル業界に転職するつもりでいたのでかなり悩みましたが、
結局、地元への恩返しのつもりで3年間帰ることにしました。
実はその時、一緒に会社をつくろうと誘ってくれていたS教授が引き留めてくれるかと思っていたのですが、
彼は僕との関係より、知事との関係を重視し(当然ですが"(-""-)")、
僕に県に戻るよう説得にしたのです。
それ以来、S教授には、一切お世話にならないようにしています( ^^) _旦~~
もちろん、研究者として指導して頂き、貴重な体験をさせて頂いた御恩は忘れていません(^_-)-☆

で、結局、慶応大学から県に戻ったのですが、
そのわずか10か月後、知事、出納長が逮捕され、副知事も辞任することになりました。
新しい知事を迎え、土木建設会社社長の子飼いの職員たちが要職からはずれ、
県組織がようやく落ち着いた3年目、僕は改めて転職することにしました。
実は、東京から戻った後、6社からオファーが来ていたからです。
大学での農業ビジネスプロジェクトで関係の出来た企業の人たちが僕を評価してくれていたのです。
局長昇格の内々示を頂いた日に、急いで退職願を出しました。
「やっと、長い闘いが終わったんだ。僕は負けなかったんだ。もう解放されても良いだろう。」
という安ど感があったのを記憶しています。

余談ですが、
いまだに、県には僕が今の会社に転職できたのは、S教授の紹介があったからだと、でたらめなことを言っている人たちがいるようです。
残念ながら、S教授は全く無関係なんですよね。
特に今の会社は、研究所時代に知り合ったK君という若手社員が中心となって、
僕の招聘を強く会社に訴えてくれたのがきっかけです。
その時、会社側が僕の第三者評価を聴取しに行ったのは、
S教授ではなく、Nさん(外資系金融機関頭取)、Kさん(農業関連全国団体の専務理事)、Nさん(関東の農協の専務理事)の3人でした。

大した情報源もなく本当のことを何も知らないのに、
自分の知っている情報だけで浅はかな憶測をし、
さも本当のことかのように言言いふらす輩が役所には多いのです。
しかも、自分に都合の良いように情報を歪めて憶測します。

僕の場合だと、僕の力が評価されたとは彼らは思いたくないのでしょうね、
S教授とたまたま知り合えたから転職できたのだと言いたいわけです。
こういう人たちって、本当に人格がお下品というか、根性が卑しいと思います(^_-)-☆
他人のうわさする暇があったら、自分のやるべきことを為し、
自分を高める努力をしろって言いたくなりますよね。(ついつい、偉そうなこと言っちゃいました(#^^#))

人生って不思議なものです。
左遷されても腐らず前を向いて楽しく誠実に前を向いてやっていれば、チャンスは勝手にやって来ます。
逆風に、顔を背けたり、逃げたりしたら、逆風と一緒に飛んでくるチャンスをつかむことはできないのです。
しっかり目を開けて真正面を向い歩んでいればチャンスは掴めるのです。

僕が腐らずに頑張れたのは、自分の生き様に対する誇りを失わなかったからなのかもしれません。
それに何より、僕の生き様を認め、誇りに思ってくれる家族や友がいたからなんでしょうね。
それに、東京事務所でも大学でも仕事がおもしろかった、いや、という自らよりおもしろく変えたからなんでしょう。

今、振り返ってみて、
多くの県職員が影の権力者に阿り、保身と猟官に走った中、
行政マンとしての生き様を一人貫き、左遷されたことは、やはり誇りにして良いのだろうと思います。
それも今があるから言えることなのかもしれませんが。

そういえば、東京事務所の課長に赴任してしばらくして、
当時の副知事に僕を左遷しろと命令したその建設会社の副社長が、東京事務所を訪ねて来たことを思い出します。
「元気にやっているらしいな。」
「ええ、おかげさまで楽しくやらせて頂いています。」
笑顔でそう答えた場面を今も鮮明に憶えています。
その後、当時の東京事務所長と、何しに来たんだろうかと話しました。
「どうも奴はメゲテいないらしい」と噂を聞いて確かめに来たのか、
それとも、「俺に逆らうから左遷されたんだゾ。」と権力を知らしめに来たのでしょうか。
今はもう確かめる術もないのですが。

若いころ、秘書として仕えた、今も尊敬している知事にこんなことを言われたことがあります。
「お前はどの世界でも生きて行ける奴だよ。」
確かにその通りになりました。
やはり、あの知事は凄い人だったと…あらためて思います(#^^#)

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